カンボジア:クメール・ルージュの爪痕

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トゥール・スレン 記念碑

2020年2月にシェムリアップとアンコールの遺跡を訪ねたときは、カンボジアで見ておきたいのはアンコール・ワットを始めとする遺跡の数々で、首都であるプノンペンについては関心がなかった。どうせクメール・ルージュに破壊されて新しい街になっているだろうしという思い込みもあった。

ところが、シェムリアップで、プノンペンはフランス統治時代の建物がまだ残っている街だという情報を目にして、俄然興味が湧いた。そして、Covid も静かになってきた 2023年12月訪れた。

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トゥール・スレン 収容所

プノンペンに行くならば、やはりポル・ポト、クメール・ルージュの爪痕をパスするわけにはいかないだろう。重い気持ちを抱えつつ、トゥール・スレン虐殺博物館とキリング・フィールドを実際に訪れて、歴史を学んできた。実際、話を聞くと悲惨すぎて言葉を失ってしまう。

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トゥール・スレン 収容所 内部

トゥール・スレン虐殺博物館(英語だとTuol Sleng Genocide Museum)は、トゥール・スレン刑務所とか S-21(Security Prison 21の略) とも呼ばれ現在は博物館になっている。もともとは、高校だったところに、1975年にポル・ポト軍が進行してきて3年弱の間、反革命分子の収容と拷問が行われた場所。

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トゥール・スレン 中庭

オーディオガイドを聞きながら回ると、詳しい話を聞くことができる。昔の出来事のようでもあるが、自分と同じ年齢の人たちが子供の頃体験したことだと思うと、町でまわりを見回して自分と同じかそれ以上の年齢の人を見ると、あの時代を生き延びたのだなと改めて思う。生きてS-21を出ることができたのは、7名だとか8名だとか。ちょうど、その生き証人である一人が、歴史の本の販売コーナーのところに座っていて、そんなに遠い昔話ではないのだ実感する一方で、彼の通ってきた人生はとても想像に及ばなく胸が詰まる思いがして、直視することができなかった。

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チュンエクのキリング・フィールド

翌日は、チュンエク村のキリング・フィールドへ。キリング・フィールドはカンボジア国内に何箇所もあり、虐殺の行われた場所。訪れたのは S-21の附属施設位置づけられていたプノンペンの南西15キロ程にあるところで、チュンエク虐殺センターとも呼ばれる場所。こちらも、オーディオガイドを聞きながら歩いたが、胸が痛くなるような話ばかりで辛い。今は静かな場所になっているが、人間次第で、どんな時間も場所も、変わってしまうのだなと。共感性の欠如、正義中毒、シャーデンフロイデ(相手の損害が嬉しい)そんな諸々が、負のスパイラルに飲み込まれてしまった。

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キリング・フィールド 慰霊塔

ところで、ポル・ポトは、パリは学んだ技術の試験に落ち続けてカンボジアに戻った。ヒットラーと同じ劣等感を抱いていた人だねと kame が言っていた。劣等感がこんな方向に進んだりするのか。それにしても、ポル・ポトは概ね幸せな晩年を送ったらしいが、そんなことが許されるのだろうか。