2008年3月23日(日)
春の青春18切符のお出かけ第2弾で、湖西線で琵琶湖の西岸を北に上がったところにある菅浦(すがうら)と海津(かいづ)に行ってきた。
当初は18切符と智頭急の1日フリー切符を使って、智頭や福原に行こうと計画していたのだが、天気予報を見ると(神戸から見て)西の方は雨の影響が強そうなので、東北の方角へ行き先を変更したのだ。
三ノ宮8時50分の新快で永原駅へ。湖西レジャー号なので乗り換えなしで行けるのは嬉しい。ただ、途中で車両を短くするための切り離しがあり、それがどこの駅であるかによって込み具合など影響が大きい。京都で切り離しするのと、近江今津ではえらい違いだ。
ともかく、混んだ電車に揺られて永原まで着いたら、パスに乗り換えて菅浦へ向かう。片道840円20分ほどのバスの旅で、着いたのは11時半近くになっていた。お腹がすいたのでバス停前のレストラン岬で早めのお昼をとることに。
かつては陸の孤島と呼ばれた菅浦の集落で目につくのは、梅の花、ベンガラ、茅葺きの門、石垣、蜂の巣、そして琵琶湖。
梅の花はバスの中からも咲いているのがたくさん見えたが、菅浦の山沿いにもたくさんあるようだ。観賞用でなく梅干しを漬けるらしい。琵琶湖沿いには桜の木もたくさんあって、花の時期にはさぞ見事な景色になるだろう。
ベンガラを塗った家が目につく。なぜこの辺りで?鉱山?ベンガラと言えば、岡山の吹屋を思い出す。
これは、今にも壊れそうな民家だったところだが、村の中に茅葺きの立派な門があって不思議な存在感を放っていた。写真にはおさめなかったけど。。
村の中に旋盤などを置いた小さな小屋のような作業所が点在していた。ヤンマーの下請けを行っているらしい。いまでも、こんな作業形態が存在するんだ。
沖縄よりは低めだが石垣がずっと積まれている。1700年頃、高波の被害が出た後に作られたらしい。さすが、湖といえども巨大だ。
菅浦では家の軒下に蜂の巣ができても除去は行わないのだろうか?数カ所で巨大な蜂の巣ができているのを見かけた。lulun は蜂が大の苦手である。だから、ものすごく気になる。
そして忘れてはいけない、忘れることのできないのが琵琶湖だ。曇りの日だったので見通しは悪かった。だからこそ、菅浦の村の時間の流れ方が違うように感じられたのかもしれない。
ふきのとうがたくさん出ていたけど、みんなとって食べないのかな?それとも、来年の分の種になるべく残してある分だけが育っていたのかな?
集落の西の入り口あたりから山側にあがったところに須賀神社がある。バスの時間まで余裕があったので歩いていってみた。最後の階段の手前に「土足禁止」と書かれている。横にスリッパが用意されていたけれど、なんだか変な感じ。もちろん上がらずにそのまま背を向けて戻る。
菅浦は、ゆったりと時間が流れていて、のんびりしに来るにはよいところである。また来てもよいと思うほど気に入ってしまった。特に何もないところなのだが、寂れているとか、うらぶれているといった空気はない。住んでいる人の気質がよいのだろうか?
菅浦入り口のバス停まで戻って「かぐや餅」を購入して、永原の駅まで戻り、次の目的地海津に向かう。
隣のマキノ駅から湖畔沿いを歩いていくとかつては港として栄えていたという海津の村がある。湖畔沿いはビーチになっていて子供には楽しいところだろう。ここも梅が見事だったが、海津大崎は桜並木が続いていてシーズンともなると、観光客が押し寄せるらしい。現在の海津は機能を失った感じで寂れた宿場町になってしまっている。
車窓から鉱山跡らしきものが見えたので足を伸ばしてみた。マキノ鉱建という会社の跡だった。なるほど、ここに鉱山があったから、菅浦や海津の民家がベンガラで塗られていたりしたんだ。納得。
海津へと戻る途中に、「マキノ夢の森」という子育てと市民の交流の場としての森を作ろうとしていた?妙な空間があった。うーん、コメントは差し控えよう。
北びわこのほとんどの駅でレンタサイクルの利用ができるようになっていて、有料だけど乗り捨てもできるので季節がよいときなら自転車で回るのも気持ちが良さそうだ。ただ、永原の駅では湖西レジャー号が到着する少し前に、レンタサイクルの窓口の午前の部が閉まってしまうのだ。もう少し考えて運営して欲しい。
大阪のスイートバジルでタイ飯を食べて、楽しく美味しい一日を締めくくった。